陽光
「いち、に、さん、し、」
誰もいない校舎の中で、ユズルは階段を数えた。白い上靴は、ふわり、と浮かび、ゆっくりと着地する。静かすぎるその場所で、足音は響いた。
ユズルの低血圧は親も呆れるほどで、寝坊しても母親は怒りもしなかった。
けれども、今日は入学式前の登校日。この日ばかりは、ユズルも自分に呆れてしまった。せっかく父親から借りてまで目覚まし時計を二個かけて眠ったというのに、ユズルにはその音を聞いた記憶がなかった。
「ご、ろく、しち、はち、」
はじめての制服は嫌に重く、ずるずると緑色の床に沈んでいくようだった。上靴だけが取り残されて、底なし沼に落ちる自分を、ユズルは想像した。
とぷん、とぷん、とぷん、とぷん。
階段を上っているはずなのに、体はどんどん落下していく気がした。
今頃、体育館では入学式の練習が始まっているだろうし、何組になるか決まって皆そわそわしているだろう。もう、グループができてしまっているかもしれない。もぐらたたきみたいに動く、同い年の子たちの頭が、思い浮かぶ。
今更体育館に入れるわけもなくて、校舎に入ってはみたものの、見知らぬ広い建物は、一層不安をかきたてた。
友達なんかできるわけない、ユズルは思った。理由なんかなかったけれど、体育館の様子を思い描けば描くほど、そうとしか思えなかった。
「く、じゅ、じゅういち、じゅうに…、」
もうちょっとでおしまい、と左足に力を入れようとすると、目の前に黒い影があった。
「新入生?」
黒い影は言った。
「…はあ。」
「そっかー。そんじゃあ、またね。」
そう言うと、黒い影はあっという間に階下の向こうへと消えてしまった。
影の残像をしばらく見つめ、ユズルは首を傾げた。
踊り場の向こうに、桜の木が見えた。いまだ春の寒さに耐える枝が、陽光に照らされて、空へといくつも伸びていた。
ユズルは目を細めた。眩しいのか、泣きたいのか、わからなかった。
何段目か数えるのをすっかり忘れ、ユズルは両足を踊り場に揃えた。
ユズルの白い靴も、ゆらゆらと、陽光に浮かんだ。
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