オリオン

 イチヲの白い息がふわふわと浮かび上がった。今日は寒いのだ、とようやく気付く。
 イチヲを呼び出して、コンビニで待ち合わせた。先に着いていたらしいイチヲを見つけたときには、既に除夜の鐘が鳴り始めていた。
 車止めに座っているイチヲの隣りに自分も座ると、黙ったままイチヲは肉まんを差し出した。イチヲはいつもどおり喋りそうもなかったので、私も黙っていることにした。
 二人で黙ったまま、夜空を見ていた。今年はじめて、オリオン座を見たような気がした。もう今年は終わりそうなのに、いまさら。オリオン座を探すこともできないくらい、忙しなく毎日を歩いていたのだろうか。私には、わからない。ただ黙々と、生活していた。それしか、思い出せない。
 イチヲには、バイト先で出会った。無口で、地味な人だという第一印象だった。
 イチヲは、自分からは何も喋らない。それを優しさだと思っている。ときにはそれが疑いや裏切りを呼ぶのだと、ちっともわかっていない。
 だけど、そういうイチヲに、私は毎日会いたい。
 イチヲの横顔をそっと見ると、歯がガチガチと震えていた。思わず、吹き出してしまった。
 「寒い?」
「ん?んー、うん。ちょっと。」
「帰ろうか?」
「そう?そうしようか。」
 イチヲが、ちょっと笑った。ひどく、苦しくなった。
 イチヲが立ち上がったので、私も急いで後に続いた。イチヲの背中がだんだん小さく丸まっていく。ボーン、ボーン、と鐘が重くのしかかっている。
 「イチヲ。」
 そう呼びかけてみたけれど、言いたいことが思い浮かばなかった。本当に言いたいことは、たくさんある。だけど、今ここで、イチヲにちょうどいい言葉をぶつけることが、私にはできない。
 「どうしたの?何か買い忘れ?」
「ううん。」
「何?」
 私は、首を横に振るしかできなくなる。
 イチヲはゆっくりと私の正面に近付いて、じっと待ってくれる。
 待ってくれても、何も出てこない。私の中には、イチヲが待つべきものがない。
 「何でもない。何でもないよ。」
「…本当に?」
「うん。」
 イチヲが眉間に皺を寄せて、私を見つめてきた。なるべく納得させるような笑顔を、無理矢理に作った。
 「そう。」
「そうなの。それじゃあね。」
「ん。じゃあ、また明日。」
「…明日?」
 イチヲらしからぬことを言うから、急に涙目になってしまった。
「うん、明日、神社に行こう。嫌だ?」
「嫌じゃない。うん、行こう。行く。」
「ん。じゃあ、また明日ね。」
「うん。また明日。」
 言い終わると、イチヲは笑顔で私から離れていった。
 ぼやけた世界でイチヲが小さくなるのを見送っていたら、ボーン、と最後の鐘が世界をくっきりと甦らせた。
 オリオン座が、キラキラと眩しい。今日も、また明日と言って帰ろうそうしよう、と心に決めた。



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