いも・に・かい

 ベランダでぼんやり、空気が冷たくなってきたなあ、と感じていたら、部屋の中で携帯電話がぶるぶる動きだした。机の上をちょっとずつ移動するのが何かの虫のように見えて、若干嫌な顔付きになってしまう。
 他人からメールが来る、なんてことが滅多にないもんだから、重大なことかと思ったら、学科の先輩のゴウウコンさんだった。この人も毎月律儀にメールを送ってくるもんだ。大人数の飲み会の幹事なんて、偉いと思う反面、気違いにしかできない、と思ってしまう。携帯電話にゴウウコンという文字が浮かび上がるたび、人数の少ない学科を選んだことに嫌気がさす。
 どうせ、け、と打って予測変換される、欠席します、という一文を返信するだけでいいのだけれど、なかなか、どうも、ため息の出る作業なのだ。その作業前から、既にため息を吐いてメールを見る。
 つと手が止まる。いつもと本文の形が違った。
 「来月某土曜日、今年も芋煮会を開催致します!

場所は例年のごとくH川付近にて。一年生と場所を知らない人は、朝十時に大学正門に集合してください。会費はまたメールします。食べ物、飲み物、好きなもの自由に持ってきて!

参加するという人は、今月中までにワタクシのところにお知らせください。よろしく。

秋といえば芋煮会だー!みんな、是非参加するんだ!!」
 いつにも増して、アバウトなメールだ。というか、
 「いも、に、かい?」
 聞いたことのあるようなないような、字面からすると、芋を煮る会、みたいだが。他の地方の人間にまったく優しくない。東北の人が排他的、というのは間違いない。
 なんだか妙にイラッとしたので、「芋煮会って何すか?」とメールを送ってみた。ごろっと寝転がって、携帯電話を手放そうとした瞬間、またこいつが震えはじめた。しかも今度は電話である。
 「…もしもし?」
「あ、イトウちゃん!無視されるかと思った!」
「そんなことしませんよ。ていうか、声デカイっすね。」
「え、そう?ごめんごめん。ええと、そう、芋煮会ね、」
「ああ、はい。いや、別に電話とか、よかったんですけど。」
「いやいや。そういやイトウちゃん、こっちの出身じゃないから、知らないよね。いきなりあのメールじゃ意味わかんないから。ごめんね。」
「いえ。」
 電話の向こうで、ゴウウコンさんが心底反省している姿が目に浮かぶ。この人は悪い人じゃないんだよなあ。外を見やって、ゴウウコンさんの家の方角に顔を向ける。もうすぐ日が沈む。
 「で、何なんですか、芋煮会って。」
「そうそう、ええとね、」
「はい。」
「うーん、」
「何すか。」
「まあ、バーベキュー、みたいなもんかな?」
「…はあ。」
「ちょっと違うんだけど、そんな感じで。」
「秋に、バーベキューですか。寒くないんですか。」
「うーん。だから、ちょっと違うんだけど。」
「そうなんすか。」
「うん、だからね、イトウちゃんには来てほしいんだけど!」
「…いやあ、」
「あ、予定ある?」
「いや、ないですけど。」
「じゃあ、来て!是非来て!」
 ゴウウコンさんの声のボリュームがさっきより格段に上がる。そっと電話を耳から離し、向こうの様子を窺う。
 一度だけ参加した飲み会のことを思い出す。大声で喋りまくって、お酒を飲んで、みんな馬鹿笑いしていた。誰かは踊りだすし、誰かは吐いちゃうし、誰かは後輩に絡んでいるし、誰かは騒ぎだして店員に嫌な顔をされるし、誰かは道端で倒れて動かなくなった。お酒の飲めない自分は、ただじっとそれらを見ていた。みんなきっと、本当には何にも喋ってなどいなくて、本当には笑ってなどいない。アルコールで満ちた脳味噌に勝手にコントロールされている、でくのぼうみたいだった。楽しそうに見えるのに、全然楽しくなさそうにも見えた。
 「いや、やっぱり、」
「飲み会とは違うから!酒飲むヤツもいるけど。でも、いつもの飲み会とは違うし、楽しいと思う。たぶん。」
「たぶんですか。」
「絶対、って言いたいんだけど、こればっかりはねえ。ううん。…わかった。」
「何がですか。」
「イトウちゃん、会費払わなくていいから、来て。」
「はあ?」
「とりあえず、来てみたらいいよ。何もしなくていいし。」
「ちょっと、それは、」
「本当に嫌なら、これっきりでいいから。」
「これっきり、」
「うん。もう、メールしないからさ。今回だけ、来てよ。」
「…はあ。」
 電話を切ると、外はすっかり暗くなっていた。夏を過ぎると、一気に日の落ちるスピードが早くなる。
 そういえば、酔っ払った人をきちんと介抱していたのはゴウウコンさんだけだったな、とその姿をおぼろげに思い出す。

 大学が見える場所まで行くと、ゴウウコンさんが両手で大きく手を振っていた。大袈裟すぎる。
 「今、電話しようかどうしようか、迷ってたんだよ。」
「来ますよ。ていうか、まだ五分前ですよ。」
「まあ、そうなんだけどさ。」
 ゴウウコンさんは力が抜けたのか、ヘラヘラ笑いだした。
 こんな自分のために力を入れなくてもいいのに、なんだか気の毒になるくらいお人好しなのかもしれない。
 「じゃあ、全員揃ったから行くか。」
 そう言うと、ゴウウコンさんが先頭になって、ぞろぞろと十人ぐらいの集団が歩きはじめる。大学生にもなって、遠足みたいだ。
 「イトウちゃんって、芋煮会したことないんだって?」
 最後尾をのろのろ歩いていたせいで、隣に人がいたことに気付かなかった。たしかこの人は、あの飲み会のとき道端で寝はじめて、ゴウウコンさんに叩き起こされていたような気がする。
 「はあ。というか、はじめて聞きました。」
「あ、そっか。そうだよね。じゃあ、今日晴れてよかったねえ。」
 文脈がいまいち繋がっていなかったが、空は本当に心底スカッとするくらい晴れていた。少し顔を上げただけで、光が体中に当たって温かくなる。直後、程よく冷たい風が頬を撫でていく。秋はなんとなく寂しいものだと思っていたけれど、今日はとても気持ちがいい。
 遅れてみんなについていくと、全員がコンビニの前で立ち止まっている。こんな大勢でたむろして、店の邪魔にならないのか。
 「コンビニで、何か買うんですか。足りない材料とか。」
「ああ。薪だよ、薪。」
「ま、薪?」
「このへんのコンビニとかスーパーには、秋になると置いてあんのよ。って、イトウちゃん、マジでビックリしてんね。」
「はい。」
 コンビニの入り口には、たしかにどっかりと薪が積み上げられている。ゴウウコンさんがテキパキと数人に分けて、唖然としている間に再び行進が始まった。
 十分もすると土手が見えてきた。土手やら川やらを見ると興奮するらしい人たちが走り出していく。ゴウウコンさんが、川には入んなよー、と笑って注意している。他のみんなも、気持ちよさそうに伸びをしてみたり、深呼吸したりして、自然と笑顔になった。また十分も歩けば、車がめったやたらに走っていて、そこにある大学では人がごちゃごちゃしているというのに、川があるだけで、なんとなく悪くない気になる。変なもんだ。
 川原の方を見やると、既に集合していた人たちが石を積み上げている。賽の河原の真似でもしているのか。縁起でもない。
 「お、もう準備できてんじゃん。」
 隣にいた行き倒れ先輩(名前を知らない)が、浮き立った声で言った。
 「何がですか。」
「ん、ああ。あれね、かまど。」
「かまど、ですか。」
「石組み上げて、かまどにすんの。」
「はあ…。」
「イトウちゃん、初体験ばっかか。」
「はあ。なんか、みんな、すごいっすね。」
「いや、学校の授業とかでやってきてるヤツもいるし。」
「え、授業?」
「うん。授業で芋煮会するとこもあんだよー。まあ、あとは家でやるヤツもいるだろうし。」
「…あの、大きい鍋とかも、各家庭にあるってことですか。」
「いやいや、あれはさすがに、どっかから借りてきたと思うけど。」
 先輩は我慢できずに、大口を開けて笑いはじめた。その笑い方があまりにもからりとしているもんだから、失礼な人だと思いつつも、案外悪い人じゃないかもしれない、なんて思ってしまう。
 早くも二つできたかまどの上にどでかい鍋と、鉄板が置かれている。新聞紙とうちわを持った人間が、着々と火をつけていく。みんな、手慣れすぎだ。そのうち火吹き竹でも出てきそうな勢いだが、そこは雑誌なんかを丸めて使うらしい。
 「イトウちゃーん。」
 スーパーの袋を両手に提げたゴウウコンさんが、よたよたと近付いてきた。
 「危ないっすよ。」
「ははっ、じゃあ、片方持って。」
「はい。」
「川に冷やしに行くから。」
 二リットルのペットボトルも缶のお酒もギュウギュウに詰められていて、かなり重い。重力に任せて、袋ごと川の中にどぶんと入れる。撥ねた水が手に当たったら、予想以上に冷たい。
 「イトウちゃん、何か飲みたい物あった?」
「いえ、お茶とかあれば。」
「おお、よかった。烏龍茶買っといた。」
「ありがとうございます。」
 川は滞りなくどんどん流れていく。秋のせいか、そんなに眩しくなく、けれどそれでもきらきらと光を反射している。そのへんで車が走っているから空気が澄んでいるわけもないのに、深呼吸したくなる。太陽の光を浴びて、川を見て、もうすぐ紅葉しそうな木を見て、みんなの楽しそうな声を聞く。なんだか自分も楽しいような気になってくるけど、本当にそうなのかよくわからない。このへんに充満しているマイナスイオンのせいかもしれない。
 みんなのいる方を振り返ると、材料を買い出ししてきた人たちが、食材を手にかまどに集まっていた。
 里芋、豚肉、大根、人参、白菜、ごぼう、豆腐、こんにゃく、きのこ、ねぎ、味噌…
 「…あれって、」
「ん?」
「豚汁じゃ、ないんすか。」
「…まあ、豚汁には、近いかな。」
 ゴウウコンさんはあっけらかんと笑った。それにつられて、ついつい笑ってしまう。
 鉄板で焼いている肉の匂いがしてくる。飲み会のときの料理とは違って、美味しそうだ。
 「イトウちゃーん。」
 かまどの方から、行き倒れ先輩が名前を呼んできた。
 「マシュマロ焼こうぜー。」
 串に刺したマシュマロを、ぶんぶん振っている。この人も大袈裟だ。周りのみんなは慣れているのか、気にすることもなく調理を順調に行っている。
 「ま、マシュマロ?焼くんすか?」
「え、マシュマロ、焼いたことない?美味しいよ。焼いてこい焼いてこい!」
 ゴウウコンさんは無駄な力で背中を叩いてきた。
 「ええと、ゴウウコンさんは。」
「お、じゃあ、飲み物持って、行くか。」
「まだ、冷えてないと思うんですけど。」
「いいのいいの。飲めりゃあいいの。」
 そう言って、川の中からずずっと袋を取り出す。水辺にいたせいか体も少し冷えてきたし、ちょうどいいかもしれない。
 みんな、笑っている。まだ何も食べていないし、何も飲んでいないのに。というか、何もしちゃあいないのに。まだ、芋煮会は始まったばかりなのに。
 「あのー、ゴウウコンさん、」
「何?」
「あの、あそこにいる先輩の名前って、何ですか。」
「え?あれ?あの人?知らない?」
「はい。」
「ははっ。そんなの、本人に聞けよ。」
 ゴウウコンさんが笑って、しっしっと手を払ってきた。
 たぶん、きっと、これからも飲み会に行くことはないだろう。ゴウウコンさんからメールが来ても、即、け、の文字を打つだろう。先輩の名前を呼ぶことなんて、今日以外、もう二度とないかもしれない。
 まあ、それでも、いいか。
 ふひひ、とはにかみながら、頷く。マシュマロに向かって、一直線に駆け出す。
 あれやこれや、もう何もかも、マイナスイオンのせいということで。



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