缶蹴り

 月の光が降ってきて、私は、自分が天使、だなんて、錯覚を起こした。光は私のお守りで、肩甲骨は本当は羽なんだって、思った。
 全部間違いだけれど、私の中で正解にしてしまえばいいか、と思って、目的の自動販売機のほうへ向かう。
 夜中は危ないから出歩いちゃダメだからね、と一人暮らしを始めるときに、ママに言われた。もう十九になる私に。言いつけを守らない私を、ママは責める?
 午前二時、ガゴン、と自動販売機は音を出す。どれでもいいや、と思って四つ同時に押してみたら、ホットココアが出てきた。自分の左中指の先を見てみたら、レモンスカッシュ、がきっかりと姿を現していて、そいつが私の手に来なかったことに、ほっと安心した。炭酸入り飲料は、今でも飲めない。それに、こんな息も白い日に、どうしてコールドを欲するか、理解しがたい。
 冬の満月は、何もかも引き裂いてしまいそうだ。
 ホットココアを手と手でキャッチボールをして、少し冷ます。手だけが、どんどんと あたたかくなっていく。夜の空気は、何もかもを冷ましていくのだろうか。
 アパートに向かい、歩いて、止まって、歩いて、止まって、何度も上を見た。星の見える地域に引っ越してきてよかった、と最近よく思う。
 何十年に一度やってくる流星群をツトムと観ることができた。ほんの、二ヶ月前のことだけれど、私にはもう遠い昔だ。それは若いせいだ、と言うのなら、本当に若いせいで過去はいっせいに消えていく。
 プルトップを、コキッ、と開けて、一口だけココアを飲んだ。あたたかい液体が、食道を通っていく感覚。いつもより強くある気がする。体が本当に、冷えているみたいだ。
 でも、私は天使なのだから、今日は天使なのだから、とてもいい笑顔を月に向ける。羽をはばたかせて、月にタッチすることさえできる。けれど、天使だからこそ、今夜はアパートに帰る。
 ココアを、とくりんとくりんと半分くらいまで飲み、勢いよく、歩を進めた。アパートは自動販売機から五分のところにある。私は、二十分かけて近づき、あたたまった手を、ドアノブにかけた。
 「ただいま」
ゆっくりとドアを開けて、中を見回した。
「おかえり」
ツトムはゆらりと、居間からこちらのほうに、歩いてきた。
 他人が来ると部屋が汚れるから、人が来たらすぐに帰すのよ。ママが言った。ごめんね、ママ。この部屋は、ツトムが汚しているよ。
 人付き合いはなんとかなるから、友達ができるようにね。ママが言った。ごめんね、ママ。全然うまくできてないや。
 ツトムの目の前に、ホットココアの缶を差し出す。極上の笑みを、天使のように、する。
「飲む?」
ツトムは苦笑いをして、首を横に振った。
 私たちはもう、間接キスさえしない。



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